好きな禅語の言葉です。いつも、自分って何がしたいのだろう、どう生きたいのだろう、何をしている時が満たされているのだろう、なんて、考えたりするのですが、そもそも、自分の足はどの地に着いているのか。もし「今から歩く人生の地図を選んでいいよ」と、いくつもの人生の地図を渡されたら、どんな地図を手に取るのだろう。
今の自分の環境を踏まえて、無難に確実に歩ける地図を選ぶのか
180度全く違うコースの地図を選ぶのか
ちょっとだけ素敵な寄り道ができそうで、でも、時にはリスクにもなる地図を選ぶのか
なんて考えてみたけれど、実は地図なんてなくて、地図を自分で描いていく作業が人生なのかもしれない、と思うのです。
カウンセリングをしていて、これから生きる上で自分に合いそうな地図を探されているのかな、って感じることがあります。
答えがあれば、マニュアルがあれば、すごく安心できるのは誰でも同じですから。
でもね、辿ってきた道は振り替えられるけれど、今からの道は自分で開く。
今起こった出来事をどう消化するか、神様との禅問答な気がするのです。
となると、未来図は描けるけれど、地図はないのかも…、と思うほうが、不安はもちろんあるけれど、何が起こるかわからない、自分のその時になりたい自分になれる自由さが残るからいいのではないかかしら…
実はそのほうが、気が楽なのではないかしら…と。自分を含めてそう思うのです。
では、迷ったり、悩んだらどうするの?
悩んだら、足元を見る。未来に焦る前に、今の自分を見つめてほしいのです。
自分は幼い頃、何をしていることが好きだった?楽しかった?
本当の自分に会いにいくのも、また何かヒントがあるかもしれませんね。